自由な世界の明るい道と暗い道

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自分の仕事を、僕はいつも2軸で考えている。

 

一つは患者さんが抱えている疾患(問題)の指向性 もう一つは、

患者さん自身の指向性だ。 疾患のことだけを考えてれば良いのなら、

この仕事はさほど難しくないと思う。

 

医学的根拠と経験に基づいて、

淡々と治療を進めていけばよいだけだ。

しかしそれでは診療が成り立たない。

 

医学的に正しいとされても、

患者さんにとって正しいとは限らない。

よっぽどのことでない限り、

患者さんの指向性(意志)を尊重した上で、

治療方針を決定することが、常識的である。

 

人間関係を壊してまで、

疾患を改善させるよりも、

疾患に目をつむって、

人間関係を優先させることが、

臨床の現場では少なくない。

(疾患の改善より、 良き信頼関係の維持が双方の優先事項であるからだ。

もちろん、両方できることが望ましい。 そのための努力は最大限にするべきだ)

 

人間関係を向上させながら疾患を改善させることが、

理想的でありそれが当たり前なのだが、

最初からお互いがそういうレベルで向き合えるケースは なかなか少ない。

(お互いのレベルによるが) いろいろなステップを踏みながら、

 

少しずつ信頼関係を深めていくのが、 むしろ現実的で、自然な流れである。

がしかし、 その間に疾患が進行し、打つ手が遅れることもある。

 

ここにジレンマがある。 このジレンマを解消していくことこそ、

我々の仕事の本質かもしれない。

歯科領域の疾患に対して、

多くの人たちは危機感が無い。

じつはこれ、 当たり前と言えば当たり前だ。

歯科疾患の多くは、 その進行の度合いと体感にズレがある。

(治療の成果においても同様だ。 本当にそれが良い治療かどうかは、 直ちにわからない。)

 

一般的に虫歯の痛みに気付くのは、 虫歯がだいぶ進行した後だ。

 

歯周病にいたっては、さらにずれ込む。

早く気付けたのならむしろラッキーだ。

人の感情と論理は、 大体いつも乖離しているものだ。

 

頭で理解しても、 行動に至らないことは山ほどある。

 

それが正しいことだと知っている。

(興味があればここまでは誰でもできる)

 

それが正しいことだと理解している。

(さらに興味があれば誰でもできる)

 

しかし、 だからそれを行動に移そう。

 

とは簡単にならない。

しかも、継続的、つまり習慣的にとなれば、

 

なおさらだ。

 

それが人間という生き物の、性(さが) なのである。

 

だから、 虫歯を放置する 歯周病を進行させることは、

とても、 人間的なのだと解釈できるだろう。

めんどくさい という感情は、 日々積み重ねている思考と行動の結果なのだ。

 

生き方によって、 めんどくさい判断基準は それぞれあるだろう。

 

そういう人間臭さや、 本人の意思を超えて、

 

医学が君臨するか? と問えば、 少なくとも僕はノーである。

治療を望まない人に、 予防を望まない人に、

 

それらを与えることは、 ただのおせっかいだ。

 

望まない人に何かを無理やり与えるのは、 特別な状況や関係にあるときだけだ。

予防も、 治療も、 望まない人に、 することは一つ。

 

本当のことを伝える それだけだ。 それしかない。 ちゃんと伝えて、

 

ちゃんと伝われば、 その後は 本人が決めればいい。

 

明暗は、いつもそこで分かれる。

 

 

自由とは、そういうものだ。

 

et, ? Oportet invenire eam