思考の鍛え方 その3
? 思考の在り方は自らのあり方であり、
それは未来を創る大きな要素となる。
何も考えずに生きていても、
それはそれなりの結果をもたらすけれど。
組み込まれた日常の一日をただやり過ごすのと、
明日をどう組み込むかを考えて 今日という日を生きるのは、
数週間~数ヶ月は大差ないかも知れないが、
数年という単位で考えれば結果はまるで違ってくる。
明日のために何をするのか? そのために今日があると思えば、
人生はまんざらじゃない。
明日が思い浮かばないから 今日をどうしていいのかわからない。
行き先が決まらなければ、
旅の準備はできないのである。
行き先を決めよう。
今を生きるのが精一杯だというが、
それは当たり前なのだ。
努力とはそこから先の話である。
そこから先に、僕らの意義が存在するのだ。
そこから先に、
自らの求めるものがあるのだ。
向上ある心だけが、明日の行き先を教えてくれるのである。
衝動的欲求が示す明日とは違う。
なんとなく想う明日とも違う。
思考も肉体も、負荷をかけることで成長する。
この負荷の内容と加減が成長の肝となる。
自分にふりかかる環境から、
自らを鍛えてくれるものを抽出する。
それ(抽出したもの)から何を学べるのか?
それは明日の自分を創るのか?
どんなことも見逃さない集中力と、
未来を作り出す原動力があればいい。
むしろ必要だ。
思考そのものの試行錯誤を繰り返しながら、
自らの考え方をアップデートしなければならない。
思考を進化させることは人間の特権である
。 面倒だと思わないこと。
疲れて休んでもいいけれど、
面倒だなんて絶対に考えてはいけない。 (習慣化すること)
楽をしようなんて考えても無駄だ。
水をやらなきゃ草木は枯れる。
筋肉が突然身に付くことがないように、
優れた思考や行動も、
ある日突然身につくことは絶対にない。
全ての努力は習慣化されなければならない。
日々の小さな努力の積み重ねだけが、
よき結果をもたらすことを 大リーグのイチロー選手は教えてくれている。
人生を消化試合のように生きるのか、
毎日を組み立てながら生きるのか、
世界のありとあらゆる情報が、
これだけ簡単に手に入る時代になったというのに、
30年前の考え方で生きるなんて、 自殺行為である。
(新聞や、テレビ、雑誌の内容傾向が、 30年前とほとんど変わっていないことに気づいている人は少ない。)
未来を疑わないこと。
疑わないための小さな努力を積み重ねること 。
未来を疑わない心があれば、
今日を大切に生きることができる。
今日も明日が待っているのだ。