今日の慕野記
いろいろと勉強すればするほどに、 たぶん世の中は、
事実や真実がどうかというよりも、
人の目に映るすべての事は、
誰しも自分自身が見たいように見る傾向にあるのだと。 理解するようになってしまった。
(相手を尊重することは尊い行為である)
現実を思考や言葉で正確に捉えることは難しい。
むしろ厳密に考えれば、
不可能に近い.。
だから、物事は大胆に考える一方、
謙虚に、慎重に考えることが 必要だと思う。
それがバランスにつながる。
結局、視点次第で、事は簡単に反転してしまうのである。
正義と悪の対比のように、
物事の良いか悪いかを探し始めたとき、
人は自然と盲目的になってしまうのではないか?
善悪のどちらかでなければならないのは、
視点の優位性の問題だ。 善悪にこだわると、
答えは鈍る。
時もある。
だからといって、
ある程度の前提条件がなければ。
思考を展開させることすらできない。
でも進まなきゃいけない。
まったくもってジレンマである。
言葉の限界を知らされる。
政治家は政治家の視点で、
マスメディアはマスメディアの視点で、
聴衆は聴衆の視点で、
それぞれがそれぞれの視点で考える。
そこに正解の純粋な優位性なんか存在しない。
もし、自分の予測が外れたと認識したとき、
本当に外れているのか? なぜ外れたのか?
外れる要因を最初に考えることはなぜできなかったのか?
と考えることは有益だ。
その時初めて、
自分の視点をさらに広げて 考えることになる。
外れた予測から学べるものは沢山ある。
学ばなければ、進歩はない。
それでも、
人間万事塞翁が馬
人間の経験から生まれたこの言葉は、
真理を表す言葉の一つではないだろうか?
今うまくいっていること 今うまくいっていないこと どちらも自然の摂理であり、
良いも悪いも視点次第である。
人生は学びか成功かしかないという言葉が好きだ。
文明社会にいる僕らは人間であり、
地球に生まれたぼくらは人である。
それは人間として~なのか?
それとも人として~なのか?
あるいはその両方なのか?
こんなふうに視野を広げて世の中を観れば、
世の中まんざらでもない気がするのだ。
だんだんと だんだんと だんだんと
不景気も好景気もたいして変わらん気がしてきた。
今日の笑顔が何より大切でしょ。
健康であるための努力だけはしておいた方がいいぜ。
what do you think?