あの夏のフィーバー!?
東京歯科大学では軽音楽部に所属していた。
その名は MLS Music? Lover’s society 今、
思い出しても笑える話がたくさんある。
ありすぎるくらいだ。
とにかく先輩たちのパワーは半端じゃなかった。
運動部の人たちも、 「MLSです」と言えば、
「あっそ。。。。」 とほっといてくれるところがあった。
僕は入学したばかりの一年生。
想い出深いのは、夏合宿の恒例行事で、
花火戦争。 船橋の花火問屋で数万円分の花火を大量に買い込み、
20人 VS 20人で35連発花火を互いに水平発射する。
相手の陣地の旗を奪取すれば勝利というルールである。
花火の買い出しに任命された僕は、
お店のお兄さんに 「どこでやるの?」 と聞かれ、
「稲毛海岸夜9時スタートです」 と答えたら、
「がんばってね!!」 と励ましてもらった。 (毎年のことらしい)
最初は、怖くもなかったが、
いざ始まれば、
生まれて経験したことのない恐怖が襲ってきた。
それまさに戦争であった。
開戦!!
40人が輪になって、
開戦の儀式を行う。 腹を両手でたたきながら、
掛け声が始まる。 全員が叫び終われば、
雄叫びで開戦だ。
花火が目の前に飛んできた瞬間、
僕は恐怖に包まれた。 火傷をしないように、
厚手の服で防御してはいても、
飛んでくる花火の数は半端じゃない。
頭に直撃を食らう輩もいれば、
匍匐前進(ほふくぜんしん)で陣地に回りこもうとする輩もいる。
花火の弾をよけながら、時には当たりながらも、
なんとか旗の近くまでたどり着いて見たものは、
まるでたいまつみたいに、
新聞紙に火をつけたでかい先輩と、
その足元に、
斜め30度くらいで こちらを向いて待ち構えている百本以上のロケット花火だった。
「まじかよ、、、、」 と、すこし躊躇したところで、
後方から先輩がタックルしてきた。
もうやけくそである。
もみくちゃにされながら、逃げ回り、
何とか自分の陣地に戻る。
打ちまくり、逃げ回り、はいつくばって ときにはジャンプ!!
恐怖は少しずつ、充実感に変わっていった。
一人だけフルフェイスヘルメットをかぶった先輩は、
後ろが見えないことをいいことに、
別の先輩から後頭部への回し蹴りを食らっていた。
(普段の恨みを晴らしたらしい。)
男どもがこんな窮地にいるというのに、
女子部員は手持ち花火で、まことしとやかに遊んでいる。
学年は2年生なのに、
30才くらいの謎の先輩は、
なぜか女子部員と一人だけ戯れていた。
特別待遇されるだけ偉い人なのかと思っていたが、
参加しないうえに、
女子と同じく見学を申し出た時点で処遇は決まっていたのだろう。
彼の右こめかみに、
ロケット花火が直撃した。
偶然には思えなかった。
(真実は闇の中)
(しかし、女子部員全員から、手厚い看護を受けたので、
結果オーライかもしれない)
だんだん慣れてきた僕は先輩をひとり捕まえて、
人質作戦を敢行したが、 叫んでも声が届くはずもなく、
(交渉すらできない) 結局全員が、
ただ花火を水平に打ち合うお祭り状態になり、
勝敗はつかずに終了した。
戦いが終われば、そこはラグビーと同じくノーサイド。
合宿所に戻り、宴で騒ぐ。
だれも恨みっこなし。
(蹴られた先輩を除く)
理屈はめちゃくちゃでも、
先輩たちは本当に面白く、頼れる存在だった。
天才肌が何人もいた。
僕が入学したときに卒業してしまったS先輩は、
その無茶ぶりとギターの上手さでは伝説だった。
当時の様子の話を聞くたびに、
笑えるようで笑えない不思議な感覚を覚えたものだ。
そのS先輩、 インプラント治療ではトップランナーのひとりである。
品川で開業しているT先輩は、
真夏の首都高速で、
ゴリラのマスクをかぶり、
渋滞してまったく動かない車をしり目に 全裸でうろついたらしい。
今から20年以上前の話である。 男気あふれる人だった。
(たぶん今もそうだろう)
時は経ち、 皆それぞれに、
自分の道を邁進している。
いつかまた、
段ボールに詰め込んだ花火を持って、
稲毛の浜に集合したいと思うのは、
僕だけじゃないと思う。
みなさん、 ?お元気ですか?