追想 その4
大学を卒業後に最初に勤めた歯科医院の院長は、診療に対して強い正義感を持っていて、
妥協という言葉を知らないかのように、とにかく完璧を求めるタイプだった。
保険診療が主体なので、何もかも理想通りとはいかないが、それでも強い信念と
正義感をもって仕事をしていた。言い訳がましいことを言わず、真っすぐな性格が
新卒の僕にはすごく新鮮に感じられたし、何事にも根拠をもって診療しろという
厳しい指導のもと、怒られない日はないくらいしごかれた(笑)
そのおかげで、卒業3年目には、ほとんどの仕事を一人でこなせるようになり、
一日で70人近い患者を診察することも可能になった。
父親と一年間共に仕事をしたのちに、いきなり西新宿で分院長として開業することになった経緯も、
何かに導かれているようで、ぼんやり描いていた将来と、迫りくる現実の
ギャップはだいぶ大きかった。
父親が歯科医師である所以なのか、歯科医師として生きることには何の違和感もなく、
また、この職業がとりわけすごいことでもない感覚がある。
与えられた役割をきちんとこなす、ただそれだけの事。くらいに、自分のことは冷めてみているが、
どう考えても理屈に割らない治療の痕跡を見た時には、
はらわたが煮えくり返るくらいむかつく性格だった。
ただそれも、歳を重ねることで、そういう質の悪い診療が横行するのも仕方がないことで、
誰もが理想通りに診療できるわけではないのだと悟るようになる。
正義感を振りかざして腕の悪い他の歯科医師を罵倒する輩をみると、
昔の自分を見ているようで、なんとも複雑な気持ちにはなるが。(笑)
根拠をもって診療に臨むことが、当たり前だと思っていたが、
実際、ほとんどの歯科医師はそうではないことにだんだんと気が付いた。
多くの歯科医師は根拠よりも、歯科業界全体の常識や、
慣習に基づいた診療を大切にする傾向がある。
保険診療には様々なルールがあり、そのルールに基づいて診療することこそ、
保険医としての責務ではあるが、全ての患者にこのルールが機能しているわけではない。
とはいえ、個別に丁寧な対応をわけにもいかない現実があるゆえ、
根拠よりルール優先になるのは致し方がない。
形骸的な診療が横行することも、必然なのだ。
それが社会というものであろう。
そもそも、歯科治療にさほど重点を置いていない人たちがほとんどである以上、
痛くなくて、通いやすくて、安ければ十分だという認識こそ、
日本人のスタンダードかもしれない。
歯の価値を知らないというよりは知る機会が無いのである。
続く