追想 その2

東京に上京することが、まさかの開業と同じタイミングとなるとは想像もしなかった。
ただし、これは業務委託というか、分院長としての待遇で、いずれオーナーに引き継ぐまでの期間、
クリニックを一から立ち上げる条件で分院長を引き受けた。
西新宿の開業場所を見た時、正直ここはやめておいた方がいいと思う場所で、
軌道に乗せるまでには相当時間がかかると思ったが、オーナーはそのビルの所有者だったので、
自由にやっていいということになった。
そこで学んだことは、自分の持っている歯科治療の技術を、臨機応変に用いることだった。
各地域によって、歯科治療に求められているものが異なるのだ。
医学的な正しさだけでは、「医療」は通じない。そこには各患者さんの様々な背景を汲み、
それぞれの正解を模索しなければならないことを痛感した。
「治療技術」だけでは通用しない。ということだ。

常々言っているが、医学と医療は異なる概念だ。
この二つを区別して用いることで、それぞれを正しく扱える。
多くの医療従事者や患者は、この2つを混在したまま思考してしまう。
目的と前提が曖昧になり、治療方針や治療の選択もそのまま曖昧なものになる。

どんなに治療技術が優れていても、目的が何か? 治療に伴うリスクをどうとらえ、どう回避するのか? 
その治療を用いるための条件が揃っているのか?
を明らかにしなければ、無用の長物となる。
逆に言えば、目的や前提条件によってはそもそも優れた治療技術を必要としないということだ。
地方の歯科医師の少ない地域に歯科医院が一件しかなければ、
その歯科医院に患者が多く押し寄せる。
こうなると、歯科医師が患者一人当たりに使える時間は5分~15分が限界となる。
スタッフを増やして効率化を図ったとしても、できる治療は限られてくる。
そうなると、歯科治療の方針やクオリティは画一化され、患者各個人に対して
きめ細かい対応はできなくなる。痛みや不快感を改善することが治療の中心となり、
歯科医疾患に対する根本的な対処や、将来のために今できる最善の対処は物理的に不可能となる。
そして、これこそ、いまから50年前の日本の歯科医療制度の基本モデルだった。

歯科医院がどんどん増えた今も、じつはこの感覚がいまだに主流だ。
それゆえ、今もある一定の患者は、定期的に歯の治療を繰り返している。
繰り返される歯の治療によって、いずれ歯を失い、
入れ歯やインプラントに移行する患者が絶えないのはこのためだ。
つまり、時が来れば、若い頃に問題を先送りにした「ツケ」を払うことになる。

同じ調理師免許を持つ料理人であっても味やスタイルが異なるのと同じように、
歯科医師の理念や哲学、経営方針や正義感というものは、各個人、各地域によって異なる。
歯科医師が皆同じような考え方をしていると信じている患者は多いが、
それは大きな誤解なのだ。

どれが良いか悪いか?ではなく、患者が何を望むのか?
が重要であり、このマッチングが成立しているかどうか?
がすべての「鍵」である。

続く