追想 その5
歯科医師として仕事を始めてから、この歯科医療の不条理や不合理にすぐに気が付いたが、
共感してもらえる歯科医師はなかなかいなかった。
自分が間違っているのか?と疑うこともあったが、著名な先生のセミナーで、休憩中に裏でこっそり質問すれば、
大きな声では言えないんだよと、本当のことを小声で話してくれる先生は少なくなかった(笑)
歯科医療の世界にも、大人の事情ってやつがあることを、うすうすは感じていたのだが、
そうならざるを得ない現実や、この国の社会背景と照らし合わせて理解できるようになったのは、
広尾で開業してしばらく経った頃の事である。
医学を学ぶ過程では、ある一定の「正解」というものがあるが、
これが医療となると、正解は一つでなく、患者それぞれ様々な形を呈して存在する。
歯科医学的には全然難しくないことを、多くの歯科医師がなぜこうも複雑に捉えた挙句に、
わざわざぼんやりさせたがるのか、全く理解できなかった。
歯を守ることや、健康を維持するための基礎的な考え方は、小学生でもわかる話なのに、
大人の世界ではチンプンカンプンなことを平然と言う輩が少なくない。
歯科治療が歯を治す一方で、次の疾患の種をまいていること。
ほとんどの歯科治療は短期的な視点で行われていること。
救ったはずの過去の歯科治療が患者を苦しめていること、
などなどいろいろあるが、これらはすべて、人間の持つ不合理や矛盾が
生み出しているのだ。
過去の人類の歴史を見ても、そもそも人間は愚かで滑稽な生き物であり、
知性や理性でそれらをコントロールする生き物でもある。
そのバランスが崩れるたびに、我々はいつも何かをやらかしてきた。
何かの問題にぶつかったとき、その問題ばかりに注目し、
問題を引き起こした原因についてはさほど言及しない、
あるいは見て見ぬふりをする傾向があるということだ。
医療に限らず、どの世界にもこの傾向は多く存在する。
続く