希望×奇跡≒ありがとう>自信
噛み合わせが悪いと、いろいろと問題がでてくる可能性がある。
だけど噛み合わせを良くすれば、何もかもが良くなる。 なんてことは
絶対ない。
医者も歯医者も身体のことについて、 本当に理解しているわけではない。
一人の患者に対して、 論理的考察を元にいろいろと予測し、
薬を与えたり、施術を行うのだが、
それで良い結果が得られたとしても、 全ての人に同じようにはできない。
上手くいったり、いかなかったときに、 説明のつくものもあれば、 つかないものもある。
だから、医者や歯医者は それまでの経験がとても大切だ。
ひとりひとりの患者と、
それぞれの病気に対して真摯に、謙虚に、
誠実に、情熱的に 向き合うことで得られる経験だけが、
自分の足りなさを 補足してくれるのである。
経験を積めば積むほど、診断力や、技術は上がるのだが、
不思議と、それが自分の能力だとは思えなくなる。
それが自然な考え方だと今は思う。
同じことをしても 患者によって結果が変わることも あるからだ。
ある患者さんの、噛み合わせを一昨年から治療しているのだが、
先日とても嬉しいことがあった。
その患者さんは左の耳に問題があり、
噛み合わせを改善することで、
なんとかならないかということで、治療を開始した。
僕はこう言った。 「確かに噛み合わせに問題があります。
だけどそれで左耳が改善するかどうかは わかりません。 ただ、論理的に考えてやってみる価値はあります。」
このとき実は少し自信があった。
でも耳の症状は、 数ヶ月経っても良くならない。
それどころか一次的に症状が悪くなることもあった。
噛み合わせは良くなったのだが、 左耳は相変わらずである。
患者さんの諸事情もあり、 しばらく通院できない時期もあったのだが、
いよいよ最終局面を迎えた先日に、
「実は左耳の聴力が回復してきたんです。 医者は信じられない様子でした。」 泣きそうなくらい嬉しかった。
噛み合わせの治療が良かったのか、
それともたまたまなのか?
そんなことより、 ただただ、少しでも良くなってくれたことが、純粋に嬉しかった。
噛み合わせを良くしたからかどうかなんて、 その瞬間、もうどうでも良くなった。
自分のことのように嬉しいのだ。
その左耳には、まだ問題があるのだが、
これも改善されることを心から願うばかりだ。
どんなに勉強しても、
どんなに経験を積んでも 医者や歯医者でもわからない世界がある。
願いが届きますように。 僕は、僕のできることをやるだけだ。