価値という価値
目を輝かせて、ガラスケース越しにある超合金ロボットをいつまでも眺めていた。
中学生になれば、自転車を、
高校生になれば、エレキギター、 大学生になればスポーツカーを、
その時々の強い憧れでじっと見つめていた。
こんな経験は誰にでもある。欲しいものを見たり考えたりして、
手に入れた経験を通じてそれぞれの価値を知るようになる。
不思議なことに大人になれば、あれだけ欲しかったものが今はそれほどいらなくなってしまう。
そして、 今はその時よりも別のものが欲しい。(昔欲しかったものは大体手に入れられるというのに。)
今欲しいものはなかなか手に入れられない。(それは今の僕には簡単に手に入らない)
ないものねだりもあるのだろうが、もう少し深く考えるとあることに気付いた。
時が経つにつれ、価値観が変化してしまうということは人間として自然なことだろう。
けれどそれが悪い方向にいってしまうと、 生き方までもが大きく影響されてしまう。
大切な決断は自らの持つ価値観によって左右される。
自分の未来はそうやって創られていく
自らの持つ価値観とは、言い換えれば自分という価値に置き換えられる気がする。
自らが持つ価値観につい、深い考察を行なうことは、
もっと自分を知るようになるのかもしれない。
自分のもつ価値に、どれだけの価値があるか?
そして、 未来には、
自分の知らない自分がいるかもしれないのだ。。