海日記(河村 海沙編)
http://www.beachculture.co.jp/2009/blog/kaisa 先々週の日曜日に,友人の紹介で、鵠沼出身の河村海沙君と、 いつもの海でサーフィンをした話。 僕は10年以上前から、
仲間とほぼ毎週のように同じ海でサーフィンしている。
日曜の午前中だけは仲間が集う大切な時間である。
なぜにこうまでしてサーフィンをするのか?
それは、サーフィンにはいろいろな恩恵があるからである。
まず、一週間分の精神的な疲れを癒せるということ、
そして、運動をすることで、体調管理につながる。
また、自然はいろいろなことを教えてくれる。 とまあ、単純に好きだからとも言える。
僕らはもちろんアマチュアだから、それほど上手いわけではないが、
長く通っていることもあり、根拠のない自信みたいなものはあった。
だが、それは簡単に打ち崩された。 実力のなさを海沙君にはっきりと教えられた。
海沙君はプロサーファーである。
プロサーファーと一緒にサーフィンすることはめったにない。
もし、偶然海で居合わせても邪魔してはいけないので、
知り合いでなければ近寄ることもできない。
今回はいろいろなご縁もあって、しかも僕らの海に来てくれるなんて、
本当にありがたい話である。
サーフィンというスポーツは本当に難しく、
まず、日本の波では練習することすら困難であり、
動きが複雑で、感覚で覚えることが多いため、
確立された上達方法はないに等しい。
何よりも続けることが難しいかも知れない。
ま、だから面白いとも言える。
サーフィンは、のめりこめば中毒になる要素を持っている
。 ほかのスポーツとは明らかに性質が違うのである。
時間が止まる感覚を覚えるともうやめられなくなる。
スポーツというよりは、生き方かもしれない。
どちらかというと習慣に近いかもしれない。
サーファーとは、人種だと考える。 (サーファーならここでうなずくのでは?)
へたくそなりに10年以上を経て、
ようやくどのように板を動かすかの段階にきた。
ゴルフで言えば、 10年たってようやく練習場に立たせてもらえたようなもの。
それまでは、 試行錯誤の連続で、
もうどうしてよいのやらわからないことばかりが続くのである。
最初のうちは、素振りすらできないのだ。
話をもどそう。 海沙君のサーフィンは僕らのとは全く違っていた。
見とれてしまうので、自分の波をついスルーしてしまう。
そのくらい美しいのである。 まず、明らかに違うのは、判断力である。
たいていのサーファーは、 大きい波が来れば大体乗ろうとするのだが、
彼は、波の大小ではなく、波の質で選んでいる。
この、波の質を言葉で表現するのは難しい。
サーファーならなんとなくわかるのだが。
簡単に言えば、長く乗れる波を見つけるということだ。
これがまず、見つからない。
ま、だいたい見つけたときはすでに遅いので、乗れない。
海面のかすかな動きの違いをを、彼は見逃さないのである。
彼の頭の中には、優れた波の種類が豊富にあるのだろう。
またしかし、僕が同じところからいこうとしても、波に置いていかれる。
ここに技術と経験の差が大きくある。 できそうでできない。
つまり、出だしが全く違うのである。
出だしが一秒遅れるだけで、
サーフィンはまるで違ってくる 同じ海にいるのに、
見えている海がぜんぜん違うのだ。
友人が彼のサーフィンをビデオに収めてくれたので、
改めて見てみると、そこにはたくさんのヒントが詰まっていた。
もう、しばらくはこれだけを見ていれば良いというくらい、
すばらしい内容であった。 プロとアマチュアの違いは何か?
乗るべき波、乗るべきライン、するべき身体の動き、があるかないかである。
これに気づくのに10年以上を費やした。
このビデオで初めてわかったのだ。
(何をするべきかがわかれば、あとは難しくない。 苦悩はいつも、何をすればよいのかがわからない時だ。)
光が見えた。
自分のライディングを見れば、
いかに今まで自分がごまかして波乗りしているかが 理解できた。
恥ずかしいことに、彼の動きの足元にも及ばない。
美しい動きには、共通するあるべきカタチが存在するのである。
そのカタチがはっきりとつかめれば、
あとは、身体の動きのズレを 練習によって修正していけばよい。
海沙君のおかげで、何をするべきかが理解できた。
簡単にはいかないだろうが、
彼の美しいライディングに少しでも近づきたいと思う。
そしてこれは、仕事にも同じことが言える。
同じ世界にいるのに、
見えているものが違うことは多く存在する 何を見るかで、
動きや考え方も変わる。 何を見たいのか?である。
世の中のありとあらゆる企業努力に負けないためにも、
自らが何をするべきかを、毎日考え続けなければならない。
見るものから変えていかなければならない。
理想のカタチをしっかりと持たなければならない。
教わることがこんなにも楽しい事だと気付くことができた。
世の中には、すばらしい人達が大勢いる。
自らの世界に没頭しすぎることなく、
多くを学びに出かけなければないのだと、 改めて、海沙君に教えられた気がした。
そういえば、先輩が昔、
「5年後に同じ診療内容や、診療技術であったら、それはもはや詐欺だよ。」
と言っていた。 5年後の詐欺師にならないためにも、
多くを学び、日々の改善改革を実践するしかない。
今更ではあるが、
ようやく勉強が好きになれるような気がしてならない。
今日も海に感謝である。