ガチンコサーフィン
いつもは日曜日の早朝のみのサーフィンであるが、
昨日は久しぶりに一日中海に浸かりっぱなしだった。
今年はなかなかいい波にありつけず、
ストレスを通り越してあきらめていたが、
ホームポイントが久しぶりに炸裂した。
とはいえ、
プロサーファーに早い波だと言わせるポイントなので 決して楽な波ではない。
ダンパー寸前の波をいかに早く抜けるか。
時々、これをサーフィンと呼んでいいのかどうか迷う波である。
それでも、 ここは僕にとって特別な海であり、
仲間もこの海を心から愛している。
海外の波と違い、 そもそも日本の波はサーフィンに適しているわけではない。
楽しいサーフィンを体験したければ、 ハワイのワイキキをお勧めしたい。
サーフィンは、大昔に古代ポリネシアで生まれ、
その後ハワイで盛んになった。
昔はアリイ(ハワイの王族)にだけ許されたスポーツであり 、
カメハメハ大王も名サーファーだった。
日本のサーフィンは少し違う。
波質がもともと海外の波とは違うので、
優雅というよりは、根性みたいなところがある。
それでも、一度あの世界を味わってしまうと、
サーフィンのない人生なんて、 と思ってしまう。
最近、仕事ばかりだったから、
身体がなまらない程度の サーフィンばかりだった。
久しぶりに波が良かったこともあり、 ガチンコでサーフしてみた。
?最近は大きなサイズの波に巡り合えていなかったので、
タイミングがなかなか合わず、 久しぶりに、海底に引きずり込まれた。
波にふっ飛ばされ、頭から着水したかと思えば、
そのまま波に巻き上げられて、
再びまっさかさまに叩き付けられた。
海流が激しくて、水面が遠のく。
冷静に対処したが、ちょっと怖かった。
先日、奄美大島で恐ろしい波を経験したので、
このくらいの波なら大したことないとたかをくくっていたのが原因である。
初心、忘れるべからず 僕は油断したのだ。
幸い溺れるほどではなかったが、 反省しなければならない。
どんなことも、油断した瞬間に 事故が起こる。
人間は、少しくらい臆病な方がいい。
海に、「油断するなよ」 と怒られた気分だ。
もちろん、長いライディングも楽しめた。
ガラスのようなきれいな水面を駆け抜ける感覚は、
地上では絶対に味わえない。
身体が重力から解放される瞬間は波と一つになる瞬間でもあるのだ。
自らを自然に合わせる。
わがままは一切通用しないのだ。
エゴを棄てなければ、 波に乗ることはできない。
いつだって、 海はいろいろなことを教えてくれる。
海の上で浮かんでいると、
自然のいろいろな声がなんとなく 聞こえてくる。
人間もまた、自然の一部に過ぎないのだと、 痛感させられるのである。
人には大きく分けて2つの立場がある。
文明社会の一員としての立場と、 純粋な生き物としての立場である。
この2つの立場を上手に行き交うことができる人は人生の達人だと言えるだろう。
なんでもいい。
自然の息吹に耳を傾ける時間を設けることを お勧めしたい。
さすれば、社会で問題になっているほとんどの事柄は 滑稽に見えてくるだろう。
流れているニュースのほとんどが、 無意味な内容ばかりであることに気付けるだろう。
でたらめな考え方が、いつの間にか社会の基準になっている。
僕たちの生きている社会には、 そういう一面があるという事を 、
自然はちゃんと教えてくれるものだ。
時々、心をニュートラルにする。
それができれば、人生は贈り物なのだと改めて実感できるはずだ。
仲間が先に帰った後、 1時間の休憩をとり、再び沖に向かった。
合計7時間。 潮の流れが速いため、 ずっと漕ぎっぱなしだ。
波に乗る時間はおそらく合計3分もない。
残りの時間は、ほとんど漕いでいる。
それでも、あの感覚が忘れられなくて、
僕らは沖に向かう。
サーファーとは、一つの人種であると、 誰かが言っていた。
先日他界した、
スティーブジョブスのスタンフォード大学での有名なスピーチ
Stay hungry , stay foolish
サーファーにはぴったりな言葉だと思う。
Stay hungry, stay foolish
彼はサーファーだと、勝手に思っている。