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2015.04.15|赴くままに

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1996年。

東京歯科大学を卒業した僕は、

歯科医師としてとして診療所に勤務することになった。

大学に残ることも考えたが、

歯科医師としての臨床経験もないのに、

何を研究するべきかさえ思い浮かばない状態では、

大学に残る意義がないのである。

形骸的に大学に残っても、

卒業一年目で診療できる患者の数はたかが知れているし、

歯科治療とはそもそも総合力が問われるものであると最初から分かっていたので、

できるだけ多くの患者に触れ、治療の腕を磨くことが重要だと考えた。

それでもなお、何かを研究、勉強したいのなら、

大学に戻ってくればいい。

その旨を、当時の先輩に告げたところ、

その意見は全く持って正しいと理解して頂いた。

その先輩、今はとある大学の教授である。

正直に言えば、経済的に早く親から自立したかったことも、大きな理由のひとつだった。

 

最初は成田のクリニックに一か月だけ勤務した。

もちろん勤務と呼べるような内容ではなく、研修期間と称し、

ひたすら見学と雑用の日々であった。

 

若気の至りもあって、一か月ですぐ辞めることにした。

今となっては、己の未熟さを反省している。

ただ、あの時自分が素直に感じたことには今も間違いはないと確信している。

それが正しいかどうかなんて視点次第だが、当時の院長には、良い機会を頂いたと

今も心から感謝している。

 

父親の紹介で、

千葉市花見川区にある地主歯科医院に勤めることになった。

一般的な街の診療所である。

半日見学して、すぐに就職を希望した。

僕の求める歯科医療がそこにあったからだ。

地主先生は、完璧主義だ。

大学病院と同じレベルの診療を常に心がけている。

手抜きは一切許さない。

自分にも、他人にも厳しい先生だ。

何よりも、歯科治療を天職とし、自らの使命として、日々奮闘している。

といえば、聞こえはいいが、いやはや、とにかくきつい日々の連続だった。

厳しいなんてもんじゃない。

勤めて最初の半年間、何度涙を流したことか(笑)

褒められることなどまずない。

何も言われないことが最高の褒め言葉なのだ。

そして、何も言われない日など、、、、あるわけがない。

 

とにかく僕にとって彼は恐怖の存在でしかなかった。

ただ、どんなに怒られても、どんなに冷たくされても、

彼に対する尊敬の念が薄れることは一度もなかった。

嫌いになる理由さえ見つからないのだ。

その理由は簡単だ、常に患者を想い。治療には愛を注いで取り組んでいるからだ。

 

2年半勤務し、勤務最後の日に言われたことは、

「今のお前なら、そこら辺の歯医者には負けないから大丈夫。

ただ、上には上がいるから、これからもちゃんと努力しなさい」

である。

僕の歯科治療に対する基本的な考え方は全てここで学んだ。

おかげで、卒業してたった2年半で、

一日60人以上の患者を一人で対応できるようになっていた。

4台のチェアに患者を同時に座らせて、

一時間に10人以上の患者を診療することも朝飯前だったので、

その後どこに勤めても、歯科治療の技術で困るようなことはほとんどなかった。

地主先生のありがたさを後になればなるほど感じるようになった。

 

地主歯科医院を辞めた後に、実家の診療所で父親と一年間共に働いた。

普通、親子で診療すると大抵喧嘩が起きるのだが、

地主先生から比べれば、

それなりに厳しい父親でさえ観音様のような存在にしか見えなかった(笑)

そして何よりも、

父親は歯科治療の良し悪しだけでなく、患者さんとの関係性の大切さを教えてくれた。

医療とは何か? について深く考えさせられる毎日だった。

 

寝たきりの患者さんの訪問診療も時々行っていた。

このまま父親の診療所を継いで、

まったり生きて行こうとも考えたが、

これまた不思議なことに、

伯父が新宿で新しい歯科医院を開設するから、

とりあえずそこで勤務しないかと言われ、名ばかりの院長となることになった。

 

卒業して3年半でいきなり新宿の歯科医院を任されることになったのだが、

診療所の設計から立ち上げまでほとんど任されたので、

それほど違和感なく勤めることができた。

場所柄もあって、いろいろな患者さんが来院した。

ここには書けないような患者さんも来たので、

歯科医師としての度胸と経験値をこの診療所でだいぶ上げたと思う。

 

だが一年が経ち、伯父と話し合って辞めることにした。

理由は診療方針の意見の相違だった。どちらが正しいかではなく、好き嫌いの問題。

もともと伯父が開設するはずの診療所なので、潔く退くことにした。

当時取引していた歯科商材屋さんに辞めることを告げると、

有明に歯科医師を募集している診療所があるから行ってみませんか?と言われた一か月後、

僕はそこに勤務することになった。

 

50坪の大きなクリニックの院長としての待遇を得た僕は、

これまでの経験をフルに生かして診療に励んだ。

夜中の一時から朝方の5時まで診療したこともある。

できることはなんでもやった。友人や知人のいろいろなリクエストに応えた。

それゆえ。いつの間にか、顧客とも言うべき人脈が増えていった。

有明のクリニックには4年勤めた。

当時の理事長には本当にお世話になった。

あれほどまでに大事にされたことがないくらい、

とても働きやすい環境だった。

ただ、それでも聞こえてくる「声」のようなものには逆らえなかった。

 

次のステージに行きなさいと、誰かに言われている気がしたのだ。

もう一度勤務するか、それとも開業するか、正直迷った。

 

自然な流れに身を任せてみたところ、

いろいろあって広尾の開業物件が出てきた。

奇跡だった。

しかしながら

スケルトンの物件に立ち入り、窓の外の広尾の街を眺めて感じたことはただ一つ。

「この場所は苦労するぞ」

だった。

 

想像通り、いや、想像以上であったが

ここで開業したことは、これまでの人生の中で、一番勉強になった。

学びの場としては、これまでの中で最高に厳しい環境だったが、

それでも何かに導かれている気がしてならない。

 

環境が人を変えるとはよく言ったものだ。

自分が沢山の勘違いをしていたことも数多く学ばせて頂いた。

そして今も、たくさんの方々に支えられ、多くを学ばせて頂いている。

 

開業して10年が経つ。

モウリデンタルクリニックに関わる全ての方々にあらためて感謝の意を伝えたい。

そして、

ようやく僕はスタートラインに立ったような気がする。

本当の挑戦は、たぶんこれからなんだと、

うすうす感じている。

?何よりも、、

あたりまえに存在するものなどこの世に何一つないのだと、

心から確信している。

 

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profile

院長 毛利啓銘
昭和46年11月19日生まれ
1996年東京歯科大学卒業

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