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2011.06.27|sense of wonder

 

 

 

 

 

 

 

 

物事を考えるとき、何を前提にしているか?

ここを忘れて議論、考察しても意味がない。

正しいか否かは、前提と目的によって変わるからだ。

その論理は何を前提とし、何を目的にしているのか?

ここがわかる人とわからない人の差はとても大きい。

議論や考察をする際、(前提)と(目的)について、

1 自然に理解できる人、

2 努力して理解できる人、

3 努力しても理解できない人

という3つに分けることができる。

かみ合わない議論は、

この3タイプが同じテーブルにつく時だ。

 

どんな議論であれ、

まずは前提と目的をできるだけ すり合わせることが望ましい。

このすり合せができない場合、

最後には価値観の違い、

というレベルになれば、

もはや議論は無用である。

好き嫌いの問題になるからだ。

??たとえ相手を論破できても、

言われた側が心から納得できないことは よくある話である。

 

論理とは、

目的と前提に よって変化するということを、

忘れてはいけない。

さて、 歯科医師や医師の言う論理にどれだけの整合性があるのか?

前提と目的によって答えは変わる。

話を少しずらしてみよう。

そもそも、

整合性や医学的根拠について 議論する目的は何のためか?

答えは明白である。

患者と医療従事者全ての幸福の為。

しかし、

その根拠を正しいと位置づけるさらなる根拠を求めれば、

答えは永遠に出てこない。

答えにたどり着く前に死んでしまう。

だから、

どこかで区切りをつけなければならない。

(この区切りが人それぞれに異なる)

歯科医師や医師の唱える整合性とは、

その区切り方によってどうにでも変わる。

根拠と称しながらも、

実は誰かが勝手に区切った論理であり、

その先にはそれまでの根拠をひっくり返す事例はいくらでもある。

だからこそ、

確信と疑念の両立が望ましい。

この手の話は、際限がない。

これを書いている僕自身こそ、

この話をどこかで区切る必要がある。

つまり、(ここで区切る)

人は信じたいものを信じ、信じたくないものを信じない。??

? という傾向がある。

ここに気づくと、長引く議論は喜劇に見える。

根拠とは、誰もが理解できる論理だけでなく、

身勝手な思考を正当化するための存在ともなり得る。

場合によっては、

相手を攻撃する矛になり、

自らを守る盾となる。 ?

人間は事実を解釈で曲げる。 ? ?

多くの人は、

事実より解釈を重んじるように教育されている。 ?

全ての医療従事者が、

知るべき(理解するべき)ことは 患者はそのほとんどが、医学的根拠を信じるよりも、 医療従事者を信じている。 ? ?

 

という現実だ。 医学的根拠を求めて、

きわめて論理的に展開するべき局面と、

根拠を俯瞰でとらえ、

経験と状況(現実や環境)によって選択する局面では、

まるで属性が違う。 属性が異なるままに議論すれば、 喜劇か悲劇にしかならない。

俯瞰で観れば、歯科医師や医師は無知である。

無知であるからこそ、

今日も研究と臨床経験を重ねている。

(賢者とは、自らが何もわかっていないことをわかっている者である。)

 

 

森羅万象の結晶ともいえる人体の全ての構成因子を分母とすれば、

人が知り得る範囲など、無に等しい。

(これもある前提で言葉を表現している)

そもそも医療とは、

根拠があって行うというよりは、

結果を考察し、根拠と称するものに結び付ける行為が圧倒的である。

 

1)根拠に基づくことで、良い結果を生むと確信が在る時。

2)わからなくても、理解できなくても、何とかしなければならない時。

医療の現場には、この2局が常に付きまとう。 ? ?

 

?根拠に基づいて(その歯科医師なりの)行う医療と、

経験と勘、仮説に基づいて行う医療の配合率こそ、

医療行為のセンスにつながるではないだろうか?

2)の場合、 できるだけその医療行為は可逆的であることが望ましい。

結果が不本意である場合、

スタートラインに戻れるようにしておくことで、 リスクを減らし、

その医療行為を再検証できることになるからである。 (できないこともある)

 

不確実であっても、リスクを回避できるのであれば、

その医療は行う価値がある場合も少なくないといえる。 (患者の十分な認識と同意は必要である)

医療の歴史は、そのほとんどが仮説と検証の繰り返しである。

最も危険なことは、何かに偏りすぎるという事だ。

偏りを続けると、妄想につながる。 俯瞰で考えるセンスも必要なのだ。

今日の本当は明日の嘘となり、今日の嘘は明日の本当になる。

 

根拠に基づく医療を行うことは、 医療従事者としてのマナーであり、

仮説に基づいて医療を行うことは、 進歩の糧となる。

 

根拠に基づいた仮説を立て、 慎重に、客観的に検証を行う。

 

医学的根拠をどこでどのように用いるのか? この在り方から議論することをお勧めする。

私たちは、事象の全てを理解することはできない。

だからと言って、

医学的根拠を追求せずに医療を安易に施すことは 危険極まりない。

僕らにできることは 偏らないこと。謙虚であること。

思考の良いバランスが、良い答えに近づく気がしてならない。

 

sense of wonder

 

ここが鍵となりそうだ。

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院長 毛利啓銘
昭和46年11月19日生まれ
1996年東京歯科大学卒業

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