医療の未来

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今月の雑誌“プレジデント”のp20に、

「なぜ日本の病院・学校は本物のサービス業になれないか?」 という記事がある。

非常に面白い。 やっとこういう記事が出てきたかと思う。

文の一部をここで紹介する。

「つまり、教育や医療には、レストランやホテルと違い、

当事者に対して強制するプロセスが潜在的に含まれる。

その背景には教える側と教えられる側、治療する側と

治療される側の間の短時間では乗り越えられない情報格差がある。

教育を受ける側、治療を受ける側は、自分にとって今何が必要なのか

という自身のニーズがよくわかっていないということ。

そしてそのニーズを満たす手段についてはなおさらわかっていない」

あまりにも共感してしまい、 読んだ瞬間、レジに持っていきました。

(笑) その通りである。

また、筆者は医療や教育のサービスは、

ホテルやレスランとは サービスの本質が異なることも示唆している。

これも全く同感である。

では、サービスの本質とは 何か?

というよりは、サービスはなんのためにあるのか?

ここがとても重要である。

医療における真の目的は3つしかない。

 

抱えている問題(病気や疾患)

を治すこと その問題(病気や疾患)を再発させないこと。

患者さんの抱えている不安を取り除くこと。

 

医療におけるサービスのすべては、

これら3つにつながるものでなければならない。

つまり、この3つのいずれにも関与していくことのないサービスは、

医療サービスの本質からかけ離れてしまうことになる。

治療する側と治療される側の間の短時間では

乗り越えられない情報格差を サービスによって解決することで、

医師側と患者側の両方のスタートラインを合わせることが可能になる。

 

考えてみれば何とも単純である、

始まって数時間が経過した会議に、

後から参加したところで、

他の人たちと同じようにいきなり会議の議題を考えることができるであろうか?

今までの医療はそれを平然と受け入れてきた。

つまり、患者側に情報を開示せず、

一方的に治療を計画してしまうのだ。

また、情報はただ開示すればいいというわけではない。

その情報をどのように扱うのか、

ある程度の知識も必要となる。

患者さんの持つ情報(患者自身の情報や希望、病気の特性など)

医師側のもつ情報(技術と経験と知識など)

これらを、的確にすり合わせ、

治療方針の決定を導き出す方程式 があれば、

目的に合わせた医療が誰にでも可能になる。

これは医師側にとっても、

安心して治療を行えるメリットがある。

誰のために、何の為に、どのような経緯でいくか?

患者側と医師側が公平に協議する。

ただそれだけのことが、

医療の現場ではなかなかできない現実が今もある。

例えれば、 商品の素性を知らず、

将来への予測なしに買い物をするなんて、

正月の福袋よりたちの悪い話だ。

何が良いかもわからないまま、

店員に勧められたものを 疑いもせず買うなんて、

普通しないでしょ?

医療の世界ではそれを平然と行ってしまう現実がある。

まあそれは、ある程度の結果が約束されるから。

誰がやってもほとんど同じ結果になると思われてきたから。

でも本当にそうなのか?

簡単な疾患であれば、

誰がやっても同じであるが、

疾患の問題が複合的になればなるほど、

医師の力量が問われてくる。

はっきりいってセンスがないと対処できない。

こんな簡単なことでさえ、

世間一般にはあまり知られていない。

それでもむりやりこじつけるからトラブルになる。

医師もただの人間である。

免許を持っているだけで、腕が良いわけがない。

レストランのうまいまずいがあるように、

病院にもうまいまずいが存在する。

(学歴や肩書はあまりあてにならない)

レストランと違って 病院のうまいまずいなんて、

なかなかわからない。

わかった時には手遅れになることもある。

(オペの後にまずかったとわかってもやりきれないでしょ?)

だから患者側がするべきことは、

自らの抱えている問題をしっかりと事前認識し、

自分に合う医師を見つけていくしかないのである。

もちろん医師側もしっかりアピールする義務がある。

最初に述べた医療サービスとは、

これを助ける存在であるべきなのだ。

各病院の方向性を表す情報の開示

患者の抱える疾患の情報開示

患者と医師の的確なマッチング

自由な治療選択 治療に対する医師と患者の責任 治療後のケアプラン

これを第3者が行えば、良いビジネスになるであろうが、

まだまだ少ないのが現状である。

症例によっては専門知識が必要になるであろうから、

医師や歯科医師が、

そのような会社を起業するのもいいかもしれない。

とにかく僕が最も危惧しているのは、

ただでさえ忙しく、

収益の少ない病院が、

集患のために本業とは違う部分に力を入れすぎてしまい、

本業の品質を落としてしまわないか?

という事である。

(医療品質を良質に保つだけでもコストは莫大にかかる)

だからこそ第3者が独立して、

医師と患者を公平に取りまとめていく機関が必要だと考える。

日本は保険診療がまだまだ主体であるが、

無駄な医療費をなくしていくためにも、

計画的な医療体制の構築こそ急務だと考える。

歯科領域においては、

治療より予防に 国費を用いるべきだ。

ここ近年、保険診療を主軸にしている全国の歯科医院は、

悲鳴を上げているのにもかかわらず、

じっと耐えている話は絶えない。

歯科は、計画的予防管理が可能な領域である。

予防関連に対して予算を投与し、

予防を怠ったために疾患に対しては 自己責任のもとに各個人が大きく負担する形こそ、

まともな考え方だと思いませんか?

自らの口を管理しないのは、

誰のせいでもなく 本人のせいである。

(あくまでも健常な大人の話)

歯を削れば報酬が入る仕組みは、

もはや行政や歯科医師自身の首をしめていることに

そろそろ気付いたほうがいい。

昨日、友人の歯科医と久しぶりにゆっくり話すことができた。

彼の医院は収益も良く、腕の良い勝ち組歯医者である。

そんな彼でさえ、日本の医療に未来はないと断言していた。

そして、昨年から日本脱出計画を実行に移し始めたとのこと。

腕のいいドクターは、日本から消えてしまうのだろうか?

先進国日本の素晴らしい医療が、

もはや崩壊の序章を始めているような気がしてならない。

ちなみに僕は今、何を思うか?

日本は素晴らしい国であることは間違いない。

日本人の美しい心は、世界でもトップクラスである。

僕は日本が好きだ。

そしてその日本で育った僕がするべきことは、

この日本を良くすることである。

それが日本の中からであろうと、外からであろうと。