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2016.12.07|先輩

2047

 

大学生の頃、まだ、1年生にも関わらず、ひょんなご縁で、
当時大学院生(2年目)の先輩にいろいろと可愛がってもらった。

同じクラブ(軽音楽部)のその先輩は、

僕の音楽に対する姿勢や考え方に深く共感してくれただけでなく、

生意気で世間知らずの僕を、まるで弟のように可愛がってくれた。

 

 

大学一年生と、大学院の2年目では、6つ以上も年が離れている。
にも拘らず、
まるで少し上の先輩のように、気さくに意見を言ってくれたり、
僕が悩んだ時には、同じ目線で話を聞いてくれた。

 

 

家にいてもやることがないから、

休日に大学の部室で一人で楽器の練習をしていたところに、

その先輩が一つ下の後輩(大学院一年目)の先生と一緒に部室に入ってきた。

「お前、一年生?見ない顔だな。なにやってんだ?」

 

 

そこから、意気投合し、

ファミレスに連れて行ってもらい、音楽談義で盛り上がった。
ちなみにその時一緒にいた大学院一年目の先生は、

今では東京歯科大学の教授である(笑)

 

 

先輩は、ギタリストで、ビンテージギターを多く所有していた。
その知識については、楽器店のオーナーレベルで、オタクの域を通り越していた。
自宅には、集めたギターが20本以上壁に飾ってあって、

押し入れにはケースに入ったギターが山積みだった。

ロック音楽、ポップ音楽についても熟知していて、

時に日本のグループサウンズにおいては、
かなりのものだった。

少し前まで高校生だった僕にとって、

自分の好きな音楽のルーツを知ることができただけでなく、

大人の世界を垣間見るには絶好の機会であった。

 

 

僕が子供じみた視点で意見を言えば、

先輩はそれに理解を示しつつ、いつも大人の視点を交えて語ってくれたものだ。

いろいろな視点を持つことの大切さを、先輩に教わった。

 

 

休日になると、先輩の家に上がり込んでは、
音楽の話をしたり、楽器を弾いたり、
古い録音機械をつかって、曲作りに励んだ。
今と違って、全てがアナログなので、
作業には沢山の時間を費やした。
一曲完成するたびに、二人で盛り上がった。
今思えば、かなりお粗末なクオリティだったが、

それでも当時の僕らにとっては
楽しくて仕方がなかった。
もちろん、恋愛の相談にも沢山乗って頂いた(笑)

 

 

 

曲作りの題材探しに、あちこちでかけた。

横須賀に出かけた時、
帰り際に、お腹がすいてレストランに入った。
メニューのハンバーグをみたら、
100g 150g  200g 250g 300g と書いてある。

二人とも、所持金がギリギリだったので、100gを注文したところに、
店員が、「男性では少ないと思われますが、大丈夫ですか?」と聞かれ、
めちゃくちゃお腹がすいていたにもかかわらず、
「あ、さっき食べてきたばっかりなので大丈夫です!!」
と見え透いたウソをついた。
あの頃はお金なかったよねと、先輩と会うたびにこのエピソードが出る。

 

 

学生の頃は音楽とタバコと缶コーヒーで一日をやり過ごせたものだ(笑)
今ではタバコも缶コーヒーもやらないが,あれはあれで楽しい時代だった。

 

時間も体力もあるのに、お金と経験がない。
若さとはそういうものだと教わった時代。

時間と体力を使って、知恵を生み出す。
それを経験と信頼に変えて、お金を生み出す。
そういうことに気づいたのはもっと後だった。

 

先輩とは多くの夢を語り合った。
当時の僕の夢は、プロミュージシャンと同じ演奏レベルができるようになること。
そして、10万人の前でベースを演奏すること。(笑)

演奏レベルは叶ったと思う。たぶん。
10万人の前で演奏する夢は今もある。
叶った次の日から、一番好きなベースギターを辞めるつもりだ。
だからたぶん、一生辞められないだろう(笑)

27歳の頃、当時の東芝EMI本社にあるスタジオで、

レコーディングに参加させてもらう機会を得た時、

嬉しくて嬉しくて、先輩に同行してもらった。
今はもうないが、

このスタジオはザ・ローリング・ストーンズなどがレコーディングをした溜池山王のスタジオである。
コールドプレイや、宇多田ヒカル、

椎名林檎など数多くのアーティスト達がレコーディングを行ってきたらしい。
昼から始まったレコーディングは、翌日の早朝5時までかかった。
たった一曲の為だけに、それだけの時間を費やした。

 

緊張して、思うように演奏できない時、

先輩から一言アドバイスを頂いた。
なかなかプロディーサーからOKがもらえない中、

そのアドバイスのおかげで、
一発OKをもらえた。大きなガラス越しに、

プロデューサーが僕に向かって両手で大きな丸をつくって見せた。

 

あの時のプレッシャーは今もはっきり覚えている。
僕のベースがアマチュアレベルを超えたのは、
たぶんあの瞬間からだと思っている。

天井が落ちてくる感覚というか、

重力で押しつぶされそうな感覚というか、
逃げるところがどこにもない感覚。
初めての感覚だった。

壁が押し迫る景色を今もはっきり覚えている。

僕のレコーディングが終わらないと

次のパートのレコーディグに入れない。
スタジオの時間にも限りがある。そんな中で、
先輩の一言が、僕を救ってくれたのだ。
「座らずに立って演奏してみろ!」

 

それまで先輩と小さな部屋で試行錯誤しながら、
いろいろとレコーディングしてきたからこそ、

そのアドバイスが的確だったのだと思う。
姿勢一つで、音が変わることを先輩は知っていたのだ。
レコーディング後に、プロデューサーが先輩に向かってナイスアドバイス!!と
言った。 立って弾いたとたんに音が断然に良くなったと、後に言われた。

 

 

この経験をしてからというもの、

一音の大切さを改めて知ることになった。
好き勝手に弾くのではなく、
自分を表現しつつも、きちんとルールを守る。
音に対する責任を持つ。 

ベースラインの流れをきちんと守る。
言葉で言えば簡単だが、感覚をつかむのは難しい。
経験は、言葉よりずっと早く的確に教えてくれる。
プロの現場に立てば、何が必要なのかを、現場が瞬時に教えてくれるのだ。

 

それからというもの、いろいろなバンドに参加して、
ミュージシャンとして生きてく道を探した。

東芝EMIの二人のディレクターから、

所属するための事務所を紹介していただいたが、
ご縁が無かったのか、タイミングが合わず話が流れてしまった。

もし、あの時、、、 
なんてね。(笑)

こんな言葉を誰かに聞いた。
「人が仕事を選ぶのではない、仕事が人を選ぶのだ」 と。
全くその通りだと思う。

 

 

音楽を頑張れば頑張るほど、なぜか歯科医師としての道がどんどん開けていった。(笑)

面白いことに、音楽の世界が遠ざかるというよりは、歯科の世界がどんどん近づいてきて、
やるべきことをやりなさいと言われているような気がした。

 

 

当時の音楽の仲間は、今も現役で頑張っている。
紅白に出た奴もいるし、テレビを付ければ時々映る人もいる。

彼らも、仕事に選ばれた人たちなんだと思う。

 

自分が音楽業界に身を置くことを渇望していたのか?
と自分に問えば、たぶんそうではなかったと思う。
そこに躊躇があったと思う。

自分を表現する世界を目の前にしても,
どこか一歩踏み出せない自分がいたことも事実だ。
そこに自分の弱さがあった。
自分の弱さをちゃんと認めることができなかったから、
音楽業界に身を置くことができなかったのだと思う。

だから、僕が開業するとき、2度とそれをしないと誓った。
何があってもきちんと自分を表現すること。
躊躇しないことの大切さを、この時の経験を通じて知った。
振り返れば、ありとあらゆるいろいろな経験の全てが、
今の自分を創り、
今も何かに導かれているような気がしてならない。

広尾で開業してから10年以上たつが、
スタッフにも患者に本当に恵まれていると思う。
僕に関わる人達の幸福をいつも心の底から願っている。

皆の幸福の一端を担えれば本望だ。
それが音楽であろうと、歯科医療であろうと。
だれかを幸福にすることに変わりはないのだから。

 

 

 

 

そうそう、歯科医師としての夢が一つだけある。

それは、、、
「日本の総理大臣を診察」することである。

もし、診察しても、
次の日から歯科医を辞めることはないけどね(笑)

 

 

 

PS 井上慎太郎先輩、お元気ですか?
先輩のおかげで今日も楽しくやってます。
また横須賀行きましょうね。
今度は300gのハンバーグ、僕がご馳走します(笑)

 

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院長 毛利啓銘
昭和46年11月19日生まれ
1996年東京歯科大学卒業

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